オックスフォード通信(161)Liverpool 紀行 (2)

Beatles尽くし

リパプールの街を歩いていると至る所にビートルズの歌声、彫像、写真が耳に、目に入って来ます。ビートルズが活躍したのが1960年代、解散してから10年、1980年12月8日のジョンの暗殺からももう40年近く経つのに未だにビートルズはこの街に生きている感じがします。

Liverpool Museum ではヨーコとジョンの特別展覧会、同じくハーバーにはビートルズ博物館、Mathew streetには彼らがバンド活動をしていた Pub Cavarnが(現在のパブは以前の位置から10mくらい北の所にあります)あります。

特に、ビートルズ博物館 (Beatles Story) は彼らの生い立ちから解散後に至るまで音声ガイダンスに沿って(日本語を含む8ヶ国語)約1時半かけてみて回るものです。後から実際のCavarnに行ったのですが本物と違わないくらいに博物館内で再現してありました。

ジョンもポールも中学生までに母を亡くし決して恵まれた家庭環境でなかった事がわかります。歌で有名なStrawberry Fieldももともと孤児院だった所です。またジョンは作曲をする前から歌とは関係なく詩を書いていたとの事。ジョンには書くべき事がたくさんあったのだと思います。孤独な生活環境の中でも詩、すなわち言葉の力に早い段階から気づいていた点で天賦の才能があったのだと思います。

リバプール美術館での展示では、Imagineの原稿も展示してありました。Imagineはもともとヨーコが書いた詩をもとにしていたらしく、現在ではコピーライトにヨーコ&ジョンとなっていることも説明してありました。

ビートルズがこのように取り上げられ世界中から多くの人が見に訪れるということは、ビートルズの中に普遍的な価値があるということなのだと思います。それは Love Peace といった言葉ではまとめきれないものだと思います。私はそれは壁を作らない若々しい情熱だと勝手に解釈しています。ビートルズをみると、聞くと、元気になる。それはABBAとは(ABBAも大好きですが)違う種類の魅力だと思います。

今日、展示を見ながら散々 (?) ビートルズの曲を聞く事ができました。聞きながら、英語の歌の歌詞を英語を母語としない私達が理解しようとすることはとても重要だと思いました。今では歌詞の日本語訳が自動的に手に入りますが、少し苦労して自分で日本語に訳してみることも大切だと改めて思いました。


(2018.9.4)

★今回の教訓:英語学習とビートルズは相性がいいのかもしれない。

© Wakazemi 1-20