オックスフォード通信(314/51)National Gallery

ロンドンのナショナル・ギャラリーに行ってきました

イギリスが寛大だと思うのは、大英博物館にしてもこのナショナル・ギャラリーにしても入館料が無料ということです。最も最近ニュースで報じられたように、大英博物館のモアイ像を返却して欲しいとモアイの州知事が涙ながらに訴えたように、ロゼッタストーンにしてもこのモアイ像にしても大英博物館の多くの展示物が往年の大英帝国が各国で略奪してきた事実は覆い隠すことができないので(この博物館で展示してあるお陰で保存状態がよく現存しているという擁護論もある)、無料というのはある意味当然かもしれません。

さて、ナショナル・ギャラリーのお目当ては多くの人と同様にゴッホの「ひまわり」です。ナショナルと名前がついている用にほぼ全体はイギリスの画家の作品が展示してあります。例えば、ターナーの作品は独特の優しさと風景との一体感があって好きです。ということもあり、ピカソルノワールドガなどのイギリス人ではない画家の作品が一部屋にまとめて展示してあります。これはナショナル・ギャラリーの大きな特徴です。

他のイギリス人画家の展示は天井も高く仰々しい素晴らしい展示室にあります(作品よりもその部屋の建物の様子の方がインパクトがある感じがする)。しかし、ゴッホなどの作品をみるのにはこれほど適した美術館はないかもしれません。何しろ一部屋で、見たい絵が全部見れるのですから。

この部屋でも一際人だかりが出来ていたのが、もちろんひまわりです。人が途切れません。私は真ん中に置いてあるチェアに腰を下ろし30分くらいボウッとこの絵を見ていたのですが、この絵には不思議な魅力があることに気づきました(2020年に世界初のナショナル・ギャラリー展として東京と大阪で展示会が開催されるとのことですが、このように長時間座ってみることはここでしかできない贅沢かもしれません)。

まず、黄色の向日葵に同系色の金色のバック、テーブルも黄色系を少し濃くした茶色です。特に、向日葵に金のバックはないだろうと思いますが、そうすることによって向日葵の明るさと限界がうまく示されているように思いました。ひまわりをよく見ると10個以上の房があり、真っ盛りのものも、もうすぐ咲く蕾のものも、もう峠を越えて頭が下がっているものもあります。でもひまわりとしては不滅の明るさを証明しているようでもあります。ここにひまわりの真実があり、ゴッホはその真実を上手く絵で表現しているのでしょう。

その横にはゴッホが亡くなる年に書かれた地面の草と花、そして蝶々が描かれた絵が掛けられています。この絵はそれほど有名なものではないのでしょうが惹きつけられるものがありました。何もない草の生えたただの地面ですが、ゴッホはそこに何かを表現したいものを見つけたのでしょう。それは恐らく、どこにも、生があるということなのではないでしょうか。地面を緑一杯にする草、花。それは地面とつながっているからこそ強い生命力がある。ゴッホは本能で描いたのでしょう。描かざるを得なかったのでしょう。その横のドガは踊り子の姿を多く描いています。彼らに多分「何故?」という質問は当てはまらないのでしょう。描きたいから描く。でもそこには描きたいと思わせる何がある。それを上手く表現できたとき、このような多くの人を集めるのでしょう。

描きたいから描く、そこに言葉にできる理由はないと思います。丁度、写真を撮る時に、これは!と思う直感と似ているように思います。帰国までにもう一度は来てみたいと思いました。

(2019.2.4)

 

★今回の教訓:ひまわりはやはり良かった。

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