本日はMultilingual Teaching(MT)についてのセミナーに出席しました
講演者はカナダ・トロントのRyerson 大学のR先生でした。現在、トロントを中心に世界各国でMultilijngual Teaching が展開されていてその理論的根拠について丁寧にお話いただきました。
トロントというと私と家族が約20年前に住んでいた大都会で(日本でいうと渋谷のようなところのアパート18Fに住んでいました:とても便利で「部屋」から徒歩5分以内の所に映画館が3つありました)、当時子ども達は8−9才(小学校1年生〜3年生)の2年間、地元の Jesse Ketchum Junior and Senior Public School に通っていました。
今日のお話をお聞きしながら自然とその当時の事を思い出していました。先生方がとても親切で娘の担任の先生はMs. Yoshidaという日系カナダ人で(もともと和歌山出身だと言っておられましたがカナダで生まれたので日本語はほとんどしゃべれないと言っておられました。ただ、顔つきが全く日本人のままだったのでそれだけでほっとしたのを覚えています。偶然ですが、校長先生も日系のカナダ人でした。息子の担任はMr. Reedというカナディアンでしたがフレンドリーでいつも息子のことを気にかけてくれていました)。
トロント大学のすぐ横の小学校ということもあり、生徒の親が私のように大学院生であったり研究者であったりするので、もともとトロント自体が移民が多い街ですが、このケッチャム小学校に限っていると半数以上が外国人又は移民であったように思います。カナダ自体がBilingual Education, Plural Culture を政策にしているのでそのような移民の子ども達も温かく迎え入れようという風潮はありましたが、移民の子ども達の言葉をクラスに積極的に取り入れようということはなく、むしろなるべく早く英語に慣れてカナダの生活に溶け込ませようとしていたように思います。
本日のR先生のお話の要点は以下の通りです。
MT (Multilingual Teaching) は移民や外国からのビジターの子ども達だけでなく、すべての人(生徒も教師も含め: For everybody)が利益を得ることができる。
これまでの英語に慣れさせるという方法であると、Home Language を徐々に失うことになり損失である。移民の子ども達は声を上げることすらできない。また、Home Language で得た知識を活用出来ないことは大きなロスである。
世界がグローバル化しているのに応じて、カナダの英語母語話者もローカル・カリキュラムに留まるのではなく、このMTを通してグローバル・カリキュラムに触れるようにするべきである。
NewcomersとMonolingualの二項対立ではなくて、カナダ人も移民も Bilingual(英語+α)になることができる点にMTの醍醐味がある。
そのために教師の役割や覚悟も重要である: “All teachers are all language learners” (Cummins, 2005)
世の中が英語一色のグローバル化を突き進もうとしている中で、EGLF (English as a global lingua franca) と併せて、カナダでこのような MT (Multilingual Teaching) を通して、英語母語話者もよりグローバルになろうとする動きがあるのが素晴らしいと思います。
ただ、質問もさせて頂いたのですが、カナダやトロントの教育委員会がこのMTを採用しているわけではなく、単に”… embrace various languages” と唱っているに留まっているとのことです。MTが広まるには、R先生も仰っておられましたが、MTなんてできないとうそぶく先生の足を止めて、こうすればできる、こうすればこんないいことがあると話をしながらひとりずつ説得しているいく必要があるようです。
“Teaching through a multilingual lens” (Cummins, xxxx) という発想が必要なのでしょう。
あらためて英語をネイティブとする側から、移民や外国人の子ども達を受け入れる側から、一歩も二歩も歩み寄る姿勢は新鮮で重要だと思います。ただ、一方でその歩み寄るなかで英語の母語話者の子ども達が得ることができる「グローバルマインド (Global Mind) 」とは何なのか、この部分についての理論的な整理が必要だと思いました。
R先生のおっしゃるように、英語しか話すことのできないMonolingualsではなくて、いろいろな言語に寛容でコミュニケーションすることのできる人達がグローバルマインドの範疇に入ると思うのですが、まだ私もその続きが分かりません。
カナダやイギリスへの移民という問題以外にも(もちろん日本へのブラジルや中国からの移民してきた子ども達の日本語問題も含めて)この問題は重要な問いかけをしていると思います。
英語を母語としない者:EGLFとして英語を学ぶ
英語を母語とする者:英語を話そう、学ぼうとする隣人の言語に寛容でできればその言語を学ぼうとする
何かこの辺りに、これまでの「グローバル化している世界だから英語を学ばなければいけない」「なぜ英語なのか(英語帝国主義論)」の対立を解く糸口があるようにも思いました。
ちなみにR先生の母語はウクライナ語であると仰っておられました。
(2018.10.11)
★今回の教訓:グローバルレンズを通してみるといいことって何だろう?これが分かると(説得力のある答が得られると)世の中の問題が結構片付く。