オックスフォード通信(364/01)研究の完成!

この1年間取り組んできた研究に一応の結論がでました

これほどひとつのことに時間をかけて取り組んだのは18年前の博士論文以来のことです。このような機会を頂いたことに感謝するとともにオックスフォード大学で共同研究者としてこの1年間、一緒に議論を重ねて下さったR先生に感謝してもしきれない想いです。

数えてみると本日のミーティングでこの1年間17回もミーティングを重ねたことになります。博士課程学生の指導やご自身の授業や学内業務で超多忙であるにも関わらず、いつも真剣かつ誠実に建設的な議論をして下さったことを幸せに思います。特に、誰に対してもフェアかつ共感的態度をもって接しておられる姿からは、私よりも年は一回り以上お若いですが、研究の中身以上に多くのことを学ばさせて頂いたと感謝しています。

研究にひと区切りが付くと、不思議なものでオックスフォードの街並みがより一層美しく迫ってくるように思いました。今日は天気も良く、春が近づいたと思えるようなポカポカ陽気でした。

帰国すると多くの仕事が待っているようです。しかし目には見えませんが大きなお土産を持って帰ることができるように思います。

豊かな知的空間であるからこそこのように研究を楽しく進めることができたのかもしれません。今度はそのような場を日本や同志社女子大学に小規模でも構築する努力をすることが私の責務だと思っています。ただあまり気負うと大抵失敗するので、1mmくらい積み上げるくらいの軽い気持ちでやってみたいと思います。


(2019.3.26)


★今回の教訓:研究が線路の一本とするともう一本は、i-Seminarであったことはもちろんだ。若ゼミ18期生の真摯に学ぶすがたがあったからこそ私も研究を頑張ろうと思えた。まさに教えながら学び、学びながら教えるということだろう。

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オックスフォード通信(363/02)Bodleian Libraries

今回のオックスフォード大学での在外研究で一番多くの時間を過ごしたのがこのボードリアン図書館です

ボードリアン図書館とはオックスフォード大学のほぼすべてのカレッジや学部にある図書館と中メインの図書館の総称です。所属していた教育学部の図書館にも随分とお世話になったのですが、特にOld LibraryとRadcliffe Cameraは多くのインスピレーションが沸いてきた場所でした。

Old Libraryにはハリーポッターの映画にも出てくるDuke Humfrey’s Reading Roomと言われる閲覧室があり主に人文系の歴史的なレファレレンスが並んでいます。ボードリアン図書館ツアーでも回るコースになっているのですが、私は最初、ここには特別の許可がないと入ることができないと思い込んでいていつも羨望の眼差しで見ていたのですが、この図書館で働いておられる日本人のMさんがたまたま受付(監視係?)をしておられる時に伺うと、私も閲覧室に入る資格があるとのことでそれからは何度も入らせて頂き、じっくりと思索させて頂くことができました。

ただ、このDuke Humfrey’s Reading Roomは特別な場所で、もともとボードリアン図書館内は全ての写真撮影は禁止なのですが、特にここは厳しい場所です。一度、あまり知らずにここを通りかかって写真を撮ったところ係員から厳しく注意を受け、写真の削除をさせられたこともありました(知りませんでした・すいません)。

またこの閲覧室に入るには(となりのWeston図書館も同様ですが)、持ち込む荷物を透明の袋に入れ替えそれ以外のカバンなどはロッカーに預けないと入ることが許可されません。ラップトップのケースも不可でコンピュータを取り出した状態でないとだめです。これは盗難防止のためだと思いますが、ロンドンの大英図書館のReading Roomも同様の措置がとられています。

しかし、このDuke Humfrey’s Reading Roomは素晴らしい場所です。ほどよく薄暗く、回りを多くの偉大な先人の絵が取り囲みます。この場にいると自分が歴史的にはほんの短い時間を生きていることを実感するとともに、知が歴史的につながっていることを感じます。

誰も物音を立てることもなく静かに豊かな時間が流れていきます。

同様のことはこのOld LibraryとGladstone Linkというトンネルでつながっているラドクリフカメラも同様です。外から見ると素晴らしい景観ですが、内部は更に一層、知の殿堂・知が産まれる所という感じがします。写真を撮ることが許されていないのでお見せできないのが残念ですが、この場で構想を練ると質の異なるアイディアが浮かんでくるのが不思議です。

入場にも退場にもIDカードでチェックをする厳重さですが、その面倒くささを乗り越えた先には豊かな空間が広がっています。日本でもこのような場所を探したいと思います。

 
(2019.3.25)


★今回の教訓:図書館のありがたみを実感したこの1年間。日本でも図書館をもっと有効に使いたい。

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オックスフォード通信(362/03)Movie Theatre

Green Bookという映画を観てきました

あまり期待をせず、日本に帰る前にWestgateのCruzon(映画館)で一本見て帰ろうと思っただけだったのですが、期待以上に心を静かにしかし確実に揺さぶる映画に出合うことができました。
こちらの映画館はゆったりしていて、上映前にワインやビールを飲みながら待つこともできますし、座席には小さなテーブルがついていますので、飲みながら映画を観ることもできます。このような非日常的なところからエンタテインメントが始まっているのだと思います。

私は175ml(その次は250ml)ですので一番小さなサイズのホワイトワインを注文して30分くらいロビーのソファで映画について想いをめぐらせていました。サービスだったのかかなり大目に入っていたので飲みきるのに時間がかかってしまいました。まだグラスを片手に座席までは行く度胸(?)がないので、本編が始まる時間をあらかじめ聞いていたので、その少し前に座席に着きました。

少しビックリしたのは、ほぼ一杯だったからです。今年に入ってからははじめてですが、昨年は何度もこの映画館に来ているのですが、いつもまばらで、ひどいときにはお客さんの数を数えられるくらいでした。土曜日の夕方ということもあったのかもしれませんが、さすがアカデミー賞の作品賞のインパクトは大きいようです。

割とあっさりとしたCMや映画の予告編の後(日本の映画館はやり過ぎですね、これでもか・・・というくらいいろいろなCFが入ったり上映予定の映画の予告編が多すぎたり)いよいよ始まりました。

Green Bookとはホテルのリストを載せた冊子のことで、Dr Shirley がイタリアからの移民のTonyを運転手に雇って特にアメリカ南部でのピアノトリオの演奏に回るというストーリーです。時代は1960年代ですので、黒人差別がひどく、同じレストランで食事ができないとかトイレが別になっていると理不尽なことが多くあるのですが、映画としては徐々に芽生えてくるShirleyとTonyの友情を軸にカラッと描いています。特に、一度も食べたことがなかったケンタッキーフライドチキンをTonyがShirleyに勧めるシーンは面白いところでした。イタリア系移民社会の人情深く、義理堅いところが黒人差別をものともしないところ、またどのような差別にも毅然としているShirleyにも共感できるところです。

黒人差別と正面から戦うのではなく、差別がある社会でも毅然と生きようとするShirley。それを守り抜くTonyの人間味のあるところに心が揺さぶられます。人はスローガンでなく友情で動くのだと感じ入らされる好映画に出合うことができました。

この映画は日本語も英語も字幕なしでみると、よりShirleyとTonyの言っていることが心に響くと思います。

(2019.3.24)


★今回の教訓:いい映画は見終わった後にもウイスキーのように成熟していくものだ。いいものとはそういうものだろう。一時の感傷に終わらないところがいいことの証明だ。

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オックスフォード通信(361/04)Spring Equinox

春分の日を過ぎました

いよいよ昼の時間の方が長くなります。最近では朝は6時前に白々と明るくなり、夕方も午後6時を回ってもまだ明るい状況です。2月下旬のボカボカ陽気には全然及びませんが、それでもマグノリアの花は満開ですし、イギリスの桜も咲いているところが多く見うけられます。

イギリスのように一番暗い時期には夕刻は午後3時台に日没という時期がありましたので、日が長くなることだけで何か幸せな気持ちになります。日本ではこれほど極端に昼と夜の長さが変化することはありません。これは高緯度地方独特のものだと思います。

何もしなくても日が長くなるだけで幸せな気持ちになれるというのは何か得したような感じもするのですが、それだけ冬の暗さは言葉に言い表せません。昨年4月に私来た際、9月から来ておられたT大学の先生が、冬は辛いですよ、としみじみ言っておられたことを思い出します。日本でも桜が咲くと一気に気分が高揚するのとよく似ています。ただ、日本の場合にはその気持ちは一時的なものですが、イギリスでは秋まで続く点は相違点かもしれません(その分、冬の反動は大きいですが)。

落差が激しいとそれだけ大きな感情の起伏を生み、そこから新しい文学や音楽が生まれてくるのかもしれません。

いずれにせよ、暗闇を通り越した喜びは大きいです。

いよいよ帰国の時期が迫ってきました。

(2019.3.23)


★今回の教訓:帰国を前にして取り組んできた研究のまとめも佳境。仕上げて帰りたい。

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オックスフォード通信(360/05)Queue考

イギリス人は行列が好きです

好きです、とうのは変な言い方ですが、何かあるとまず行列を作り、しかも静かに文句を言わず並びます。得意と言った方がいいかもしれません。

オックスフォードからロンドンへ行くには、最終的に、バス、しかも (Oxford) Tubeバス(X90よりも格段に安く £15で往復できる)で決まり、と思っていました。24時間走っているし、バスの中はまずまず快適です。

イギリス滞在も残り僅かとなってきましたので、本日は、資本論を書いたカールマルクスのお墓がロンドンにあるというので、これは行っておかなくてはと思い、朝一でTubeバスに乗ってロンドンに出かけています。マルクスについては機会があったから書かせて頂きたいと思います。

問題は帰りのバスです。折角なので(これが多い)いつものMarble Archからではなく、そのひとつ先のNotting Hill Gateから乗ろうと考えました。これは、乗る前にパブで一杯ビールを飲もうと思ったからです。Marble Archは名前の通り大理石の凱旋門がハイドパークの横にあるところですので、残念ながら回りに手頃なパブがありません。

いい感じのパブをNotting Hill Gateのバス停近くで見つけて、さあそろそろ帰ろうと思ったのが午後6時くらいです。すでに3-4人並んでいます。金曜日の夕方ということもあり、人出が他の曜日よりは多いのか、また時間的にも混む時間帯なのでしょうか、なかなかバスが来ません。

行列(Queue)は徐々に伸びていきます。しかし誰も文句をいうでもなくジッと列の中で立って待っています。Tubeバスは15-20分に1本と謳われていますので、そろそろ来る頃なのですが30分経ってもまだ来ません。でも誰も文句も言わずジッと並んでいます。若干私の後の2名の女性は少しブツブツ言っています。ようやくバスが来たのですが「Sorry, coach is full」との文字が。

はじめて見ました。ひょっとしたらいつもMarble Archから乗っていましたので、この表示はいくつかのバス停では出されていたのかも。

日本なら「エー」とかため息が漏れると思うのですが、文句を言う人もいません。まあ、仕方ないね、くらいです。ただ先ほどの2名の女性は頭がきれるのか、このままでは次のバスも満員で乗れないかもしれないと思ったのでしょう(実際、次のバスは5名しか乗せてもらえませんでした)、反対側のビクトリア駅行きのバスが到着すると小走りで道を横断して(危ない!)運転手に交渉して無料でバスに乗り込んでいきました(たぶんです、反対側からその様子を見ていました)。

確かにそうする方が賢いと思ったのですが、このQueue文化ではそれはCheating=ずるいことのように思いました。その二人は行列では私の後だったのですが、そのバスでMarble Arch に先回りすることによって、次のバスでは2名分の座席が足りなくなることになります(事実そうなりました)。

面白いので回りを観察していましたが、それについて文句を言う人も、それについていく人も誰もいませんでした。代わりに、私の前のカップル(私が来たときには既に並んでいた)はバスに乗れなかったことで発想を変えたのか、Queueを離れ、向かいのイタリアンのレストランに入っていきました。

更に、40分くらい経って次のバスが来たのですが、5名だけ乗れるとのこと。どうするか見ていたのですが、ここでは案外たまたまバスの乗降口の前にいた人はスルスルと乗り込んでいきます。それは違うだろうと思い、前から並んでいた女性2名に順番をゆずり、幸運にも私の番が来たのでバスの乗り込むことができました。

そのスルスルとというところでも、大声で誰かが文句を言ったりするでもなく、不満の声があがるわけでもありません。日本ならそれはズルイ!とつかみかかる所までは行かなくても叫んだり、近くの人とボソボソと言ったりすることでしょう。

淡泊なのかそれとも達観しているのか、それとも大方上手くいっていれば細かいことはいいとしようとするのか、Brexitまであと1週間となっても誰もわめいたり(MP=国会議員はどこの国でも別です)せず事の行方を見守っているように見えます。

不満というものを述べることはこの国ではあり得ないことなのでしょうか。日本とは異なる風景が広がっています。

(2019.3.22)


★今回の教訓:Queueは間違いなくイギリス文化を象徴するキーワード。誰か論文を書いていないかな。少なくともイギリス人はあまり焦ったりイライラしたりはしないようだ。Queueを作ることが合理的な問題の解決方法ということなのだろう。オックスフォードに帰ってきて市内バスに乗ろうとすると長いQueueが。列の最後はどこかと探すと女性が少し離れて立っていた。Are you in Queue? Yes, of course. Queueを飛ばさなくてよかった。

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オックスフォード通信(359/06)St. Patrick's Day

日曜日 (3/17) になりますが、ロンドンにいましたので夕方トラファルガー広場でのSt. Patrick's Dayのコンサートをのぞいてきました

2月に訪れてから、アイルランドに対する興味が高まっています。実際ダブリンのSt. Patrick教会は足を踏み入れることはできませんでしたが、バスでその前を通る機会がありました。

緑とクローバー、それにギネス。トラファルガー広場はお店は全部アイルランドに関係したもの、参加者は何万人という人数が集まっていましたが、St. Patrick's Dayのコスチュームやタトゥーをしている人は思ったほど多くはありませんでした。午前中にはパレードがありましたので(見逃しています)そこではみなさん緑一色だったのでしょう。

先日のニュージーランドでの銃の乱射事件の影響もあり、入り口では念入りな荷物チェックがあり、それを終えると広場に・・・となるのですが、正午くらいからはじめったコンサート会場に到着したのが午後3時半くらいでしたので、もう下の広場は立錐の余地もないくらいの人で埋め尽くされていました。

私が見ていた時にはアイルランド出身のバンドが演奏していました。独特の哀愁を帯びたあのメロディーと子どもによるタップダンス、いいですね、アイルランドで観たコンサートの風景が頭に浮かんできました。

あのメロディーは誰にも懐かしい心の奥底に響くものがあると思います。バグパイプの演奏もありました。人を幸せにしてくれるものです。

映画で取り上げられることも多いので(Ferris Buller’s Day’s Off The Fugitive(逃亡者・ハリソンフォード)一度、実物を見てみたいと思っていましたので、コンサートではありましたが、その雰囲気に浸ることができました。

(2019.3.21)


★今回の教訓:みんな笑顔と満足感にあふれた顔をしていた。音楽は(ギネスも)人に幸せを運ぶことができるものだ。

 

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オックスフォード通信(358/07)Enlightment

認知言語学者として著名なスティーブン・ピンカー教授の講演会に行ってきました

スティーブン・ピンカーハーバード大学教授でノームチョムスキーの後継者と目されている著名言語学者ですが、近著は「悟り」とも訳せる、Enlightment というタイトルの本です。たまたまBlackwell(書店)で事前に本を買っていたのでパラパラと見ていたのですが、トピックは多岐に渡り、時代も過去200-300年と遡りながら統計的データを元にして論じています。

簡単に言うと、時代と共に、人類は進化しているし、幸せになっているというものです。

講演会とは銘打ってありますが、オックスフォード大学の教授が聞き役になり、その質問にピンカー教授が答えてゆくというものでした。

人類が進化しているという点については、質疑応答のコーナーで、シリア出身という男性がそのように思えないと述べていましたが、個々人や個々の国と人類全体というレベルで議論するとその結論は異なってくるのかもしれません。

それ以上にピンカー教授が言語学からこのような、何とまとめるとよいか分からない領域に足を踏み出していることに興味を覚えます。チョムスキーが政治の領域で多くの議論をしていることとよく似ています。恐らく、これまでの領域では自分の研究課題を全て解決してしまったということなんでしょう。応用言語学者のドルネイが近年、神学で博士号を取得したこともよく似た話に8なるかもしれません。

いずれにせよ、個々人や個々の地域や国というレベルで考えるとなかなか人類の進化を実感できないのですが、統計が間違っていないとしても、また統計データの読み方が適切であるとしても、昔では考えることのできなかった悲惨な事件が多く起きていることはどう読み解けばいいのでしょう。

恐らくそれらを表す指標自体がまだないのかもしれません。また比較の対象を巨視的だけでなく近視眼的にすることも必要なんでしょう。

ただピンカー教授が主張するように、人類は悲惨な戦争や事件を乗り越えながらも、全体として進化しようとしているのは事実だと思います。それは教育の効果、インターネットによる情報の瞬時による伝達ということもありますが、根源的にはそれぞれよりよい生活を目指して努力するヒトという動物の中に埋め込まれたDNAのせいかもしれません。

教育の役割は?個々人の努力の必要は?神の存在は?などいろいろな点についていいヒントを得たと思います。


(2019.3.20)


★今回の教訓:講演会のあと、サイン会があった。あれだけの世界的に著名な学者でありながら気さくにサインに応じているところに人間的魅力をみるけることができる。もちろん、並ばさせて頂きました。

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