オックスフォード通信(296/69)阪神淡路大震災から24年

この日を今年はイギリスで迎えています。

何年経っても忘れることのできない日のひとつです。

私が同志社女子大学に奉職した年(大学は年度制なので前年の4月に着任)、後期も(当時は秋学期とは呼んでいませんでした)そろそろ終わりと思い、朝一時間目の授業があるので起きなければと思っていた時間帯でした。

自宅は2年前に新築したばかりでしたが、右へ左へと大きく揺れたのを未だに体が覚えています。その瞬間、女性はすごいと思ったことも覚えています。当時、子ども達(双子)が7ヶ月くらいだったのですが、妻は瞬間的に寝ている子ども達の上におおいかぶさり、私に布団を上から書けるように叫びました。本能的な行動だったと思います。私はオロオロするばかりでした。

神戸でも淡路でもそのようにして自分の子ども達を守ろうとしたお母さんが沢山いたと思います。

同志社女子大学ではボランティア隊が組織され交替で芦屋市の精道小学校へ食べ物を運び始めました。

自分の同志社女子大学での勤務年数をカウントする度にその年数が阪神淡路大震災から経た月日であることをすぐに思い出します。

(2019.1.17)

★今回の教訓:忘れてはいけないことが人生にはいくつかある。同時に忘れた方がいいこともいくつかある。

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