オックスフォード通信(333/32)イギリス文化の深遠さ

Optum(アヘン)という聞き慣れない言葉が一杯のセミナーに参加してきました

講師の中国系の研究者の余裕をにじませながら分かりやすく説明する話し方にも感銘を受けたのですが、あらためてアヘン戦争が中国にもたらした惨禍と日本がなぜアヘンに汚染させることなく明治維新を迎えることができたのか、よく分かるような気がしました。

日本国外で日本に関する講演を聴くと視野が広くなるような気がするのが不思議なところです。講演会終了後、ある方とパブでお話をする機会がありました。話はイギリスという国の不思議さに向いていきました。アヘン戦争(インド=イギリス=中国)や奴隷取引(アフリカ=イギリス=アメリカ)に見られるような三角貿易 (Triangular Trade)に象徴されるように、巧妙さに長けるイギリスがなぜこのBrexitでハタから見るとへまのような失態を演じているのかと。

ひとつの考え方によると、イギリスにはアメリカや日本のような成典化された憲法がないため、国会での議論の積み上げが実績となって後世に残ってゆくので、レファレンダム(住民投票)の結果を簡単に反故にするような安易な議論ができないのでは、というものです。一方で、007を生んだMI6がある国で国難とも言えるような状況を回避できなかったのは不思議なところです。

歴史はテーゼ→アンチテーゼ→アウフヘーベン弁証法的に進化するという考え方がありますが、その方の考えではアウフヘーベンがないこともあると。単に振り子が一方に強く振れると次には反対側に強く触れてしまう。Brexitはイギリス文化を考えるのに絶好の教材となるのかもしれません。

イギリスはイギリスであってコンチネンタルとは異なると。ある方の見立ては正しいのかもしれません。恐らく、No Dealという形でなし崩し的にEUを離脱する大英帝国は、次にスコットランド独立運動北アイルランドの離脱など多くの局面を迎えていくのでしょうが、縮小再生産を通してこの国がどのような姿になっていくのか、何を目指すのか、悲観的ではない見方で今後も注視してみたいと思います。

いろいろなゲームのルールを作り、その親の役割で巨万の富を蓄えてきたのがイギリス。次は英語なのかもしれません。英語においてもいつかその親の役割を終え、国際語としての英語にバトンタッチする時が近い将来やってくるのでしょう。その時、古語のような言語に陥るかもしれないイギリス英語であってもイングランド人はきっと何かの誇りをもってそれでもいいというのかもしれません。

(2019.2.23)

 

★今回の教訓: イギリスを研究すると国の在り方、国の盛衰、国としてのアイデンティティーが解明できるのかもしれない。

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