オックスフォード通信(214)大学の教員のしごと

大学教員の最大の任務はやはり研究にあると思います

これはオックスフォード大学にてつくづく思うところです。世間の常識からは少し距離を置き、冷静に研究テーマを追いかける時、最終的には世の人々へ貢献できるものが見つかるのではないかと思います。

その研究は平凡でいいとおもうのですが、何か「あっと」思わせるものがないといけないと思います。それは結果が画期的とかそういうことでなくても、こんなしょうもない様なテーマについてよく何十年も時間とお金をかけて研究し続けているよな、というような研究への執念でもいいと思うのです。その研究にかける「意気込み」を感じられれたときに、その研究は多くの研究者の心を打つのだと思います。

オックスフォード大学の研究の多くはそのような「基礎的」かつ「オーソドックス」なものが多く、それを丁寧に積み上げている印象があります。もちろん、それを可能にするような多くの時間が教員に与えられていることは事実ですが、その時間を有意義に使っていることも事実です。

今夕は大手某報道機関で記者として活躍しておられるPさんのセミナーに参加してきました。報道には誤報 (misinformation)や誤解(misinterpretation)が付きものだがそれにどのように対処するのかという議論が中心でした。また政治家の場合にはpublicとprivateの区別も付きにくい点も指摘しておられました。特に、印刷した新聞であれば訂正も出すことができますが、digital 媒体での配布の場合にはそのスケールもスピードも大きく速すぎるので訂正が事実上不可能となります。

今回は報道する側からの議論でしたが、それを受け取る側のliteracyも重要になってくると思います。議論にもありましたが、easy to make mistakesと同時に私達もeasily believeという傾向があります。特に大学生は携帯の情報を過信する傾向にあると思います。今後も議論の俎上にのぼるトピックであると思います。

最後に司会者が述べておられた、contemplate(思案する)ばかりでなくact(行動)しながら考えているところに勇気づけられる(I am encouraged)という点もこころに刻みたいと思います。

PS. オックスフォードはすっかり冬になった感じです。ついに手袋をはめるようになりました。マフラーも準備。

(2018.10.27)

★今回の教訓:今日は久々(?)に18期生の卒論のドラフトを読んだ(すいません、ペースを上げます)。第4章のデータ分析は大枠は共通にしておき、そこからtrial and errorによって修正してゆくしかないだろう。

© Wakazemi 1-20