オックスフォード通信(136)対等だと女性中心と誤解してしまうのか

イギリスでは女性が活躍していると思っていました

でもそれは単に男性と肩を並べているだけであって、男性中心の日本からするとその対等という状態が、私にイギリスは女性中心の社会と錯覚させるのかもしれません。

例えば毎朝見ているBBC One の Breakfast。女性キャスターの Naga Munchetty と男性キャスター Dan Walker が並んで番組を進めることが多いですが、日本と違うのは女性が補助的な役割ではなく、Naga が Dan に話をふることもその逆もあるということです。また、Naga が Dan にジョークをいうこともあれば、先日などは、今年の夏増えているというヘビが実際にスタジオに持ち込まれ、尻込みするDanを横目にNagaがヘビを手にはわせるという場面もありました。

教育学部の事務職員も女性が多く、現在の教育学部長も女性教授です。多く、と書きましたが、圧倒的ではなくて事務職員にも男性もいるし、オックスフォードの教授陣は男性の方が多いように思います。

男女が対等に扱われる社会とは、女性が中心の場面もあれば男性が中心の場面もあるということだと思います。女性も男性も互いにこびることなくリラックスして生きることのできる社会。

日本がそのような社会を目指すとすれば、女性が中心のモードを増やしてゆくことだと思います。どちらがいつも中心的な役割を果たすのでなく、次の仕事では女性が、その次は男性がと交替すればいいのだとおもいます。それが男性が外で働き、女性が家事をするというステレオタイプ的に固定されるからいびつになるのだと思います。

一方、それだけ女性自身が担うべき責任も大きくなるのは避けられません。

(2018.8.10)

★今回の教訓:ヘッドを固定してしまうのではなく、プロジェクト毎に男女の役割が交替してゆくようなスケジュールを組むことはできないだろうか。

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